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プロフィール

なまずお

Author:なまずお
富山県在住。
街道とその沿道の歴史風景が大好きで、休日には北陸各地の旧道を1日かけて20~30km前後歩いたりします。

そんな私が2010年より投資を始めました。インデックスファンドを中心に投資信託を地域・対象を分散して毎月一定額買い付ける積立投資を実践中です。大きくは儲からないかもしれないけど大きく損もしないかもしれない、そう思える方法でコツコツと続けていく長期投資のスタイルを選びました。

昔の旧街道(歴史の道)も資産形成(みらい街道)も、長く付き合い長く歩いていこうと思っています。
両方ともlongな道。ときにwrongに歩くかもしれませんがそんな姿を綴っていこうと思います。どうぞお付き合いください。
兄弟ブログ:『なまずの尾っぽ』
http://blogs.yahoo.co.jp/namazuoh

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母のこと

先日、母倒れました。
それから2週間が過ぎ、おかげさまで本人も回復傾向にあり我々家族もようやく冷静になれてきたので、今回のことをブログに残しておくことにします。
(久しぶりの更新ですが、投資やお金には関係ない内容です。長文です。)



発生、その日


12月12日の土曜日のお昼のことでした。
部屋で眠っていると、母の呼ぶ声がして目覚め、行ってみると「頭が痛く気持ち悪い」と。
「吐き気もする」し、何より話す言葉が「呂律がわまっていない」状況でした。
これはマズイと思い、今から思うと自分の対応に反省もしているのですが、自分の車で自宅から数分の距離にある市民病院の救急に運び込みました。
そこでCTを撮ってもらうとすぐに脳出血と判明しました。
残念ながらその病院には脳外科がなく、応急処置をしてもらい、救急車で富山県内の他の病院へ搬送されることになりました。
このとき、受け入れ可能な病院がなかなかなくて、探してもらうのにすごく時間がかかり、待つ間は気が遠くなる思いでした。

この日の午前、私は歯医者で治療を受けていました。
本当ならばその後仕事に行く予定にしていたのですが、苦手な歯医者での治療やこの日まで仕事がハードで疲れていたのもあり、どっぷり疲れが出てしまい一度自宅で仮眠をとることにしたのです。

あのまま、仕事に行っていたら…、と思うと今でも恐ろしく思います。
ただ、眠りに落ちていた自分も、もっと早く気づいてあげられたのではと悔しい思いをしています。




その後の経過


脳内の出血範囲はそれなりにあったようですが、幸い手足を動かすには影響が出ませんでした。
搬送されるときからしゃべることもでき、意思を伝えることもできます。
手術せずに薬で血圧と出血の管理しながら2日ほどHCUで過ごしたあと、一般病棟に移り現在に至ります。

頭が痛かったり、気持ち悪く食欲がなかったり、眠ってばかりいたりと、病室に入ってからも心配なことは続きましたが、ここ3日ほどはすごく調子がよいようで表情も明るくなりました。
倒れた翌日から徐々に始めたリハビリも、今ではリハビリルームまで歩いていき(ちょっと距離がありますが頑張っています)そこで指先を動かすような訓練をしています。

正直いうと、しゃべり方も以前とは違うし、歩き方もフラフラとして危ういし、指先に力が入りにくい様子です。
そして意識障害というのか、ちょっと頭の中が混乱しているのか、妄想じみたことを言ったり直近の記憶があいまいだったりして、周囲を不安にさせることは続いています。
これらがずっと残ることなのか、回復するものなのか、まだ不安は消えませんが、とにかく命が助かったことだけでも感謝しています。


原因は… 難病でした


MRIを撮って分かったこと。
脳出血を起こした原因は、「もやもや病」(ウィリス動脈輪閉塞症)でした。
脳内の太い血管がつまり、細い血管が広がっていく病気で、細い血管の画像がタバコの煙のように見えることからこの名がついたたとか。
10万人に3人と言われる原因不明の難病です。

MRIの画像を見せてもらい説明を受けました。
母の場合かなり進行していて、健常な人の画像と比べるとほとんど太い血管が映っていなかった。
言葉を失うと同時に涙が出ました。
細い血管ばかりなので、この病気は脳出血しやすいし回復してもその再発率も高いとのこと。

命が助かって喜んだところで、この残酷な宣告に相当なショックを受けました。
退院してもまたあの痛みと恐怖が母を襲うかもしれないと考えると、胸が張り裂けそうでした。
この病気の手術のことについても説明を受けましたが、進行度合いと年齢を考えると判断が難しいとのお医者さんの言葉。
落ち着いたら紹介された病院でも意見を聴きに行くことにしました。



それでも、退院をめざして


それでも毎日母に会いに行って会話をしていると、本人が早く退院したいと思っている気持ちになんとか家族として協力してあげたい前向きな気持ちになります。
幸いここ3日ほど、本当に見違えるように表情が明るくなり、起きていられるようになりました。
お医者さんのお話では、年明け早々にリハビリ病院への転院を勧められています。
現段階ではどこまで回復できるか分かりませんが、本人にやる気はあるようなので一生懸命励ます言葉を毎日かけています。
いまは少しでも早く自宅に戻りたいという母の気持ちを叶えること。
その目の前の目標に向かっているところです。

一昨日、調子がよいので少し歩きたいという母に付き添って、ほんの数十メートルだけ廊下を歩きました。
今まで一人で長い距離歩くことを趣味としていた自分ですが、ほんの短い距離、まだふらふらしながら歩く母に付き添うことにも嬉しさを感じる自分がいました。

父とも話していますが、これからは母が過ごしやすい環境を用意してあげたいと思っています。
そのために頑張りたい。
難しいことかもしれないけど、もやもや病とも向かいあう。



 ・【なまずおフエイスブックページ
   http://www.facebook.com/namazuo






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